● ブラはアメリカの社交界からはじまった
世界初のブラジャーはアメリカで誕生した。
1914年、ニューヨーク社交界の花形メアリー・フェルプス・ヤコブが特許申請した2枚の白いハンカチーフとリボン、ヒモによる簡単なブラ──バックレス・ブラジャーがそれである[7]。
ブラジャーは、20世紀のアメリカで、ついにコルセット帝国から独立を果たしたのだ。
以後、欧米のランジェリー・メーカーやデザイナーの手で、次々と軽い素材とフェミニンなデザインのブラが売り出される。
[8]は、1920年代、ヨーロッパの初期のブラジャーで、ピンク・サテンとリボン飾りでつくられた非常に平面的なものだった。このころになる と、女性たちからは、スポーツをするための活動性と快適な着心地が求められ、コルセットはしだいにブラにとってかわられることになる。
日本で、女性のファウンデーション(ブラジャーやコルセット)が、デパートにお目見えするのは、生活の洋風化が顕著になった大正時代からだ。
1923(大正12)年、十合(そごう)大阪本店には「洋服部」が新設された。
『そごう社史』にはこうある。
〈肌着は絹物で、やはりアデル・アベ夫人(筆者註=イギリス人デザイナー)の店の製品を取りそろえた。ファンデーションはアメリカ・ヒッカリー社の製品がほとんどであった〉* c
戦前の日本では、ブラジャーは「乳おさへ」とか「乳バンド」と呼ばれた。[9]は、1933(昭和8)年12月号の『主婦之友』に紹介された 「乳おさへ」である。この号の特集「冬の流行・婦人子供服の作法」には、ブルーマー、スリップ、下穿き(ロング・パンツ)などといっしょに、手製ブラのつ くり方を型紙を添えて次のように指導している。
〈表は薄手の白キャラコ、裏はやはり白の新モス(毛織モスリンの代用品の綿モスリン)で、飾(かざり)などはつけずに、肌触りよく、簡単に 作った乳おさへです。どうせ度々洗濯をしなくてはなりませんから、お平常(ふだん)用などには、かうした木綿物でお仕立てになった方がよろしいでせう〉 * d
1940年代になると、夢の新素材=ナイロンが開発され、ブラをはじめとする女性たちのファウンデーションやストッキングに「素材革命」がもたらされ、女性たちのインナーウェアはファッションの重要なアイテムとなっていく[写真10]。
体型を美しくしたい!
身体の線からお洒落したい!
こうして、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本でも、ブラはボディ・ファッションを意識した若い女性たちのあいだで急速に受け入れられていく。
しかし、その女性美は、たとえコルセットから独立を果たしたとしても、ブラジャーがブラジャーであるかぎり、女性の身体性を主体的に解放した美 しさではなかった。それは男性の視線を反射した鏡。女の胸はこうあらまほし……と願う男性たちからの「期待された女性美」だった。