道具学会恒例「おしゃべりな道具展2004」
 道具たちはおしゃべりだ。それに接する人にいわば〔道具語〕で話しかけてくる。猫を愛し、猫と長く暮らした人間がやがて猫語を解するように、道具を愛し、道具と長くつきあった人間は〔道具語〕を解するようになる。
 

 年季の入った棟梁が、仕事にかかる前に、道具箱の中の大工道具と会話するのを目にしたことがあるだろうか。彼らは住宅建築のマイスターであると同時に、〔大工道具語〕のマイスターでもある。
 

 〔道具語〕が耳に響くようになると、道具たちがすこぶる饒舌で、人の歴史を雄弁に物語ってくれるメディアだということがわかってくる。ビートルズ・サウンズが軽々と国境を超え、民族を超え、言語圏を超えたように、多くの道具は国境、民族、言語圏を楽々と超えることができる。
 

 〔言語〕が言語圏というバリアを超えるためには翻訳・通訳という仲立ちが必要だが、道具は文字どおり即物的に人と対話できるのだ。
 道具たちは、たとえば、「戦争と平和」についても雄弁に語ってくれる。

 
[白亜紀]の道具と[ジュラ紀]の道具

代用品・転用品が語る戦争と平和 
──Haruki Murase Collectionより

 ぼくらは、戦争遂行のために金属が不足して陶器の代用品が発生する時代を【道具の白亜紀】(本来は白堊紀と書く)と呼んでいる。白土(しらつち)製の亜種が氾濫する時代だから白亜紀である。
 

 一方、軍用機や兵器のジュラルミンが転用されて道具が生まれる時代を【道具のジュラ紀】と呼ぶ。日本語では「duralumin」を「ジュラルミン」と表記するのでジュラ紀だ。
 地質学のカレンダーではジュラ紀(2億1000万年前~1億4000万年前)、白亜紀(1億4000万年前~6500万年前)とつづくが、道具学のカレンダーの特徴は、白亜紀がジュラ紀より先にくることだ。
 白亜紀の道具は後にひかえた死の予兆(サイン)、ジュラ紀の道具は地上におとずれた惨劇の痕跡……文字どおりの「物」的証拠である。

 今回は、Okinawa, Japan, Viet Nam, そしてSenegal(アフリカ)の異形の道具たちをご紹介しよう。

【 白亜紀の道具/日本:1938~45年 】
 昭和10年代、戦時下の日本では、木製ボタンや、竹製ランドセル、紙製電灯シェードなどさまざまな「代用品」が発生したが、「代用品」の典型的な素材は陶磁器(セトモノ)だった。
 写真のように湯たんぽ、水筒、おろし金、煙管、洋服掛け、鏡餅から、アイロン、すき焼き鍋、ガス焜炉、自転車のペダル、滑車、戸車。果ては、靴のカカト、ボルト、ナット、クギまでがセトモノでつくられた。
 これらは、政府による統制経済下で、組織的(国家・企業)に製造された「強制的代用品(Forced Substitute)」といえる。

【 ジュラ紀の道具/沖縄:1945年~50年代 】
 敗戦直後からの約10年間、沖縄では炊事道具、食器、饅頭の焼き型、米軍部隊のエンブレムほか多岐にわたるジュラ道具が発生。ジュラルミン製の道具のほかにも、コカコーラの瓶底グラス、HBT(米軍放出の軍服を転用した普段着)、カンカラ三線などが広範な地域でつくられた。中央の箱は「親子ラジオ」。
 

ジュラ紀の「転用品(本来の品から見れば代用品)」は、国が滅びた後、無政府状態の中で個人が生き延びるために、個人や小工場がセルフメイドした「自発的転用品(Spontaneous Substitute)」だ。

【ジュラ紀の道具/ベトナム:1960年~70年代】
 ベトナム戦争下の「インドシナ半島」では、北ベトナムを中心に、撃墜した米軍機のジュラルミンを素材に、ナイフ、バリカン、櫛、扇風機、算盤など多彩なジュラ道具が発生した。軍用タイヤを転用した有名な「ホーチミン・サンダル」もある。

Viet Nam , 2002
 ハノイ・ハイフォン空爆30周年を伝える2002年12月5日の『ベトナム・ニューズ』。

 見出しは“Lest we forget !(忘れるものか)”空爆下の戦闘の模様や、当時の苦難に満ちた銃後の生活が回顧されている。

 いまは平和なベトナムの公園で花を売る女性。背後の池に、撃墜された米軍機の残骸が見える。
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Viet Nam , 2004
 1960~70年代、戦中・戦後のベトナムで「ジュラ道具」の素材となった米軍軍用機の残骸がこれだ。ホーチミン市内など随所に当時の兵器や軍用機の残骸がそのままモニュメントとして残されている。

 左は、『ベトナム・ニューズ』の1面写真の背後の池の中の米軍機を別の角度から撮影したもの。
この写真は今回の「おしゃべりな道具展2004」に出品されたものの一部である。

写真撮影/道具学会理事・山口昌伴氏

Okinawa , 2004
 こちらは2004年の沖縄。同年8月13日、宜野湾(ぎのわん)市にある沖縄国際大学本館脇の庭に墜落して爆発・炎上した米軍ヘリコプターCH-53の残骸だ。焼け焦げた外壁は建て替え後も保存される方針だという。
 

 右の写真は鎮火したあとだが、激突した本館会計課オフィスの壁との隙間がわずか50cm。衝撃と爆風で屋内の鉄筋コンクリート内壁が崩れ、火災の熱のために学長室に面した非常口の鉄扉は一部熔解した。
 

 1945年の沖縄の人々は、身近に墜落したこのような軍用機のジュラルミンを材料にさまざまな暮らしの道具を生産したが、沖縄ではいまだに1940年代の「戦中」と、その後の「ジュラ紀」がつづいているという証左の1つだろう。

写真提供/沖縄国際大学

Senegal , 2000's 【 アフリカ・セネガル共和国/2000年代のジュラ紀 】
 道具学上の「ジュラ紀」が訪れたのは Okinawa や Viet Num だけではなかった。旧フランス領 Senegal では、いま、無一物のストリート・チルドレンたちが、巨大多国籍企業がもちこんだコーラやビールの空き缶を観光土産品に「セルフメイド」して糊口をしのいでいる。「ジュラ紀」が訪れるのは軍事的侵略の場合だけではない。グローバリズムによって経済的に侵略された地域にも、道具の「ジュラ紀」は訪れるのだ。
 

道具学会では、今回の展示のためにフランス在住の会友をアフリカへ派遣し、現地を取材してもらった。上は、道具展に出品されたセネガルの「セルフメイド」の品──観光土産品として売られる玩具、小型トランクなどと、その素材となった各種のアルミ製空き缶。

展示関係写真:道具学会会員/深澤健治氏

現地発/セネガル・リポート
セネガルの首都ダカールの路傍にある「セルフメイド」品のバザール(観光土産品市場)
バザールの店頭に山積みされた空き缶工芸品のトランク類
 バザール店内。額縁の絵はカットした空き缶の破片のコラージュ作品で、民族衣装を着た女性などが色鮮やかに描かれている。セネガルは1960年にフランスから独立した後、いまもなお飢餓に直面する最貧国の1つだ。都市部の6~18才までの子どもたちのうち、1000人中13人が路上で暮らしている。

写真/Leslie Schuffner(Paris)

「おしゃべりな道具展」で使われたイメージボード
制作:村瀬春樹
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