【白亜紀の道具たち】 陶製代用品を中心に (Page 3)

● ドイツの場合/1918~45年

 第一次世界大戦が終ったあと、ドイツは、欧州連合国から巨額の賠償金の支払いを義務付けられた。

 大戦中から不安定だった経済は超インフレに見舞われ、異様な物価の高騰と物資の欠乏が国民生活と産業基盤を破壊した。

 政府は、硬貨を鋳造すべき金属が調達できず、緊急措置として、小額貨幣の発行を地方都市にゆだねざるをえなかった。

 そのときに発行されたのが各種のセトモノの硬貨=陶貨だった。ドイツにもまた【道具の白亜紀】が訪れたのだ。左は、1921年、ドイツ・ザクセン地方ビターフェルトで発行された2マルク陶貨である。

陶貨。Stadt Bitterfeldの2マルク=1921年。

ナチス政権の衰退とナチス・コインの素材の劣化
1937年=銀貨
1939年=アルミ黄銅貨
1943年=錫・亜鉛貨
左:ナチスの2マルク銀貨。この銀貨が発行された1937年は、日・独・伊防共協定を締結するなどヒットラー政権の最盛期だった。中:ポーランドを侵略した1939年に発行された5ペニヒアルミ黄銅貨。だが、世界大戦末期の1940年代に入ると、銀や銅など主要な金属が払底し、ドイツに再び【道具の白亜紀】が訪れ、錫貨や亜鉛貨など粗悪な硬貨の製造に終始することになった。右:1943年発行の発行の5ペニヒ錫・亜鉛貨。





● イギリスの場合/1918~45年

 〈SAVE THE WHEAT AND HELP THE FLEET〉
  〈EAT LESS BREAD〉

 左は、1917年、イギリス政府が国民に節食を訴えたポスターである。〈小麦を倹約し、英国艦隊を救え!〉〈パンの消費を減らせ!〉。

 1914~18年、第一次世界大戦下の大英帝国は、ドイツのUボートによる攻撃で海上を封鎖され、食糧をはじめとする主要物資の輸入が途絶えていた。食糧難が深刻になり、食品価格は高騰した。

 政府は食料品の売買を「ration card =配給切符」で統制し、国民は食料を求めてロンドン市街に長い行列をつくった。

 この時期、食糧危機とともに【道具の白亜紀】も到来した。

写真/Gill Thomas 『LIFE ON ALL FRONTS
/Women in the First WorldWar』CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESSより

1917年、第一次大戦下、国民に「節食」を訴える英国政府のポスター。

  ──次は、1939年9月、第二次世界大戦時だった。

 イギリス政府は、ドイツに宣戦布告すると同時に国家総動員体制で大戦に臨んだ。イギリス国内の生活はカーキ色一色に染まった。

 左は、ロンドンにある「IMPERIAL WAR MUSEUM(帝国戦争博物 館)」の展示室「第二次大戦下の銃後」の1コーナーだ。

 展示品は、「供出」の対象となった金属製の道具や建具類──アルミのヤカン、手ナベ、シチューナベ。鉄製のガスオーブン用トレイ、住宅用の錬鉄製扉、フェンスなどなど。これらの金属品が、主婦たちの手で集めら れては街の広場に山と積まれた。

 マネキンが着ているのは古着を再生した「Utility Dress=実用ドレス」。日本でいえばモンペにあたる女性用戦時服だ。

 英国に、ふたたび、典型的な【道具の白亜紀】がやって来たのである。

第二次大戦中、英国では大々的に金属の「供出」が行われた。IMPERIALWAR MUSEUMの展示より。

写真/筆者

1940年代、「Utility Furniture」のカタログ。左:リビング用家具。右:キッチンキャビネット
 英国では、伝統的な堅木の家具の代用として「Utility Furniture=実用家具」と命名された軽量樹種や化粧合板製の各種の家具がつくられた。抽き出しの引き手やキャビネットの取っ手には、金物の代用品として、木製のノブやハンドルが取り付けられた。
ベッドルーム用「Utility Furniture」 ダイニング・キッチン用「Utility Furniture」
 英国の【白亜紀】に発生した「Utility Crockery=実用食器」。焼きがあまい陶器製。色は白のみ。取っ手が省かれた「湯呑み」のようなティーカップがつくられた。

写真/いずれも IMPERIAL WAR MUSEUMの資料より

 代用品は道具だけではなく、食品にも及んだ。左:戦時用ソーセージのポスター。右:アメリカから輸入された代用肉=ランチョン・ミートの 缶詰。

写真/THE WORLD WAR 2 EX RAF.CO.UK WEBSITE より