1890年代、日本の帝国主義はその幕を開けた。
1890(明治23)年、「教育勅語」が発布され、「第一回帝国議会」が 開かれた。1894(明治27)年には朝鮮半島に派兵、日清戦争開戦。1904(明治37)年にロシアに宣戦布告して日露戦争がはじまった。
当時、日露戦争に従軍した陸軍歩兵伍長の「軍隊手帳」にはさまれていた「訓示」にはこうある。
〈今回の戦争は我國開闢以来未曾有の大戦争にして敵の兵力優勢なりしこと多きにも拘らず戦う毎に勝たさる無く偉大なる功績を挙けたるは大元帥陛下の由れること勿論なるも……一旦緩急あるときは一令の下に直ちに起て國家を擁護するの覚悟を忘るべからず。明治三十八年十月三日 陸軍大臣 寺内正毅〉
このころから、日本の社会には国家主義が幅をきかせはじめ、特に、中国大陸へと侵略を開始した昭和10年代、世相はカーキ色の皇国史観と軍国主義一色に塗りつぶされた。
街には、「愛国忠心」「滅私奉公」「八紘一宇」「一億玉砕」の国策に迎合した大道具小道具類が大量に出回った。
ファシズム体制のもと、これら敷島の大和ゴコロを反映した道具類を、ぼくは【大政翼賛の道具たち】と呼んでいる。