【大政翼賛の道具たち】軍国主義下のプロパガンダ道具と戦争遂行の小道具 (Page 5)

● 日本本土の場合/1890年代~1945年

 1890年代、日本の帝国主義はその幕を開けた。

 1890(明治23)年、「教育勅語」が発布され、「第一回帝国議会」が 開かれた。1894(明治27)年には朝鮮半島に派兵、日清戦争開戦。1904(明治37)年にロシアに宣戦布告して日露戦争がはじまった。

 当時、日露戦争に従軍した陸軍歩兵伍長の「軍隊手帳」にはさまれていた「訓示」にはこうある。

 〈今回の戦争は我國開闢以来未曾有の大戦争にして敵の兵力優勢なりしこと多きにも拘らず戦う毎に勝たさる無く偉大なる功績を挙けたるは大元帥陛下の由れること勿論なるも……一旦緩急あるときは一令の下に直ちに起て國家を擁護するの覚悟を忘るべからず。明治三十八年十月三日 陸軍大臣 寺内正毅〉

 このころから、日本の社会には国家主義が幅をきかせはじめ、特に、中国大陸へと侵略を開始した昭和10年代、世相はカーキ色の皇国史観と軍国主義一色に塗りつぶされた。

 街には、「愛国忠心」「滅私奉公」「八紘一宇」「一億玉砕」の国策に迎合した大道具小道具類が大量に出回った。

 ファシズム体制のもと、これら敷島の大和ゴコロを反映した道具類を、ぼくは【大政翼賛の道具たち】と呼んでいる。

艦上式零戦を整備する兵士のイラストレーション。「大東亜戦・勝利の記録」とメディアも軍国主義一辺倒になった。
従軍兵士が縁者に贈った軍事記念盃(明治期)

軍隊手帳(明治期)
日露戦争時の「訓示」(明治38年)
国旗セットとその容器(昭和10年代)
国旗セットの砲弾型容器(昭和10年代)
非常時突破・報國貯金器。「貯金こそ誰にも出来る御奉公」とある(昭和10年代)
教宣ビラ。侵略中の諸国が赤とピンクで塗られている(昭和10年代)
兵士の親が縁者に贈った出征記念メダル(昭和11年)
左のメダルの裏面。「奉献・皇紀二五九六年八月」と刻まれている。
「愛國婦人會」表彰メダル(昭和10年代)

「皇軍慰問・御使人形」。戦地に赴いた兵士たちに送る慰問袋に入れた紙人形(お使いする人形)と封筒・用箋(昭和10年代)
慰問に送るウィスキーの包装紙。「武運長久」「皇軍萬歳」「このまゝ慰問袋の中に御入れ下さい。包装完全、破損の憂ひありません」「國産ウヰスキー」とある(昭和10年代)

メンコ

日清・日露戦争時代の「軍人メンコ」。直径40mm。
京都書院『おもちゃ博物館-4』より(明治30年前後)
昭和10年代の「軍人メンコ」。「支那事変」の文字が。

昭和10年代の「軍人メンコ」。「重砲(指揮を執る将校)」「砲台(毒ガス部隊)」。1943(昭和18)年の「防諜メンコ」

「メンコ」の詳細は  >>> http://www.studio-mira.com/Douguology/menko03.html

ポストカード(絵葉書)

「富國徴兵献納機・海軍報國『富國號』の雄姿」とある。1930年代(昭和7~8年と思われる)/海軍省発行。
左のカードと同。左「根津社長献納の辭」。右「大角海軍大臣の命名式」。下「『富國號』の處女飛行」。
「満洲國大博覧會・記念繪はがき」。舞台上の余興「満州建國祭の賑ひ」。1933(昭和8)年/國技館出版部発行。
左のカードと同。「満州名物高足踊り」とある。背景で日の丸とぶっ違いになっているのはいわゆる「満州国旗」。
上のカードと同。蝋人形の展示館。左「中村大尉遭難の實況」。右「満鐵線路破壊の實況」。柳条湖事件後の政治的プロパガンダとしてディスプレイされたものと思われる。
左・上のカードと同。左「古賀聯隊長血染めの軍服と記念展示物」。右「満州國建設の尊き犠牲古賀聯隊長大奮戦」。馬上から黒衣の人物に斬りつけるのが古賀聯隊長。
児童用教育紙芝居
小学國語讀本巻八より『小さい傳令使』。傷ついても信書管を届けた伝書鳩を美談に仕立てた物語。1941(昭和16)年/日本教育紙芝居協會発行。
同、『小さい傳令使』。中国・錦州の街に入場する日本軍。全編17枚(サシコミ3枚)の紙芝居で、学校やお寺の日曜学校などで上演された。
『爪文字』。ニューギニア戦線ボブダビ高地を死守しようとしたが、航空部隊の助けがなく孤立した守備隊の物語。兵士たちは血染めの爪文字で岩に「ヒカウキ、ヒカウキ。テンノヘイカバンザイ」と書き遺して全員玉砕する。全編20枚。1943(昭和18)年/陸軍省報道部推薦:日本教育紙芝居協會発行。
『純忠菊池一族』。制作意図にこうある。〈唯一人の裏切り者を出さなかった菊池一族の純忠壮烈なる精神と行動こそ…(中略)…皇国の為に一命を捧げて奮戦する我が国民精神の精髄を遺憾なく発揮したもので、日本家庭の範とするに足る〉。全編20枚。1944(昭和19)年/文部省監修:日本教育紙芝居協會発行。

軍票(軍用手票=軍が侵略先で使用する貨幣)

軍票に印刷された告知「軍事布告に基き發行す」
 貨幣もまた、戦争とは切っても切れない縁がある。というより、貨幣の歴史は戦争の歴史でもあった。

 国家は、戦時、自国の富を流出させないために──あるいは他国の富を独占しようと──よその国では使えない閉鎖的で排外的な貨幣を発行する。それが、占領地で発行されるいわゆる「軍票」だ。

 大日本帝国は、日清・日露両戦争の軍票をはじめとして、昭和に入ってからも侵略先の中国大陸やアジアの各地で「軍用手票」なる貨幣を続々と発行した。





● 日本/1930年代~1945年 

1938(昭和13)年、日本軍が侵略先の中国で使用した「日華事変軍票・乙号壱圓」とその裏面。「日本銀行(Nippon Ginko)」の文字を抹消し、「軍用手票」と新たに加刷してある。(縮尺3/4。 以下同)

1938(昭和13)年、中国で使用した「同・乙号五圓」。

1939(昭和14)年、中国で使用した「同・丁号拾銭」と「同・丁号五銭」。

1942(昭和17)年、日本軍がオセアニアで使用した「大東亜戦争軍票・と号1シリング」。
1942(昭和17)年、フィリピンで使用した「同・改造ほ号10ペソ」。

1942(昭和17)年、ビルマで使用した 「同・へ号10ルピー」。

1942(昭和17)年、マレーで使用した「同・に号10ドル」。 





● ソ連(赤軍司令部)/1945年

 日本軍が侵略先で使用した軍票は、ほかにもまだ数多(あまた)ある。しかし、侵略すれば侵略される。それが帝国主義国家間の戦争である。

 1945年8月9日、長崎に「新型爆弾」が投下されたあの同じ日に次のような「大本営発表」があった。ソ連軍が「満州」に攻め込んだのである──。

 〈八月九日零時頃より「ソ」連軍の一部は東部及西部満「ソ」国境を越え攻撃を開始し、又其の航空部隊の各少数機は同時頃より北満及朝鮮北部の一部に分散来襲せり〉

 そして、日本軍は敗走する。間髪を入れず、「満州」で発行されたのが、スターリン率いる「蘇聯紅軍司令部(ソ連赤軍司令部)」の軍票=だった。

1945(昭和20)年、ソ連が「満州」で発行した「蘇聯紅軍」壱佰圓 。





● アメリカ(GHQ)/1945~58年

 同じく、1945年、沖縄にはアメリカ軍が上陸、全島を占領した。

 GHQは、ただちに「Occuppied U.S Army Note(占領地用の米軍軍票=いわゆるB圓)」を発行、その後、1958年9月からはアメリカ本国並にUSダラーを通用させた。沖縄は、そのように、1972年の「本土復帰」の日までアメリカ貨幣の支配下におかれた。

 ソ連の共産主義(社会帝国主義)、そして、アメリカの帝国主義──侵略は「左」や「右」、「東」や「西」と関係なく行われ、貨幣の歴史が戦争の歴史であったのがよくわかる。

 以下は、1945~58年、沖縄で使われた軍票「Type "B" Military Yen=B圓」である。

1945~58年。米軍が沖縄で発行した軍票いわゆる「B円」・貳拾圓。

同・拾圓。
同・壱圓。
同・五圓。
同・拾銭 。