敗戦直後、沖縄の人々は、衣食住の生活をゼロからたて直さなければならなかった。なにはともあれ、生活道具をつくらなくっちゃ! と思ったがその材料がなかった。目につくのは、一面の焼け野原に放置された日本軍の置き土産だけだった。
たとえば、読谷村(よみたんそん)では、旧日本陸軍北飛行場(現・読谷補助飛行場)に零戦をはじめとする破壊された航空機が山積みにされていた。座喜味(ざきみ)の東川(トーガー)には戦時廃棄物の捨て場があり、北飛行場や中飛行場(現・嘉手納飛行場)から運ばれたおびただしい軍用機の残骸が野ざらしになっていた。
この捨てられた軍用機のジュラルミンを使って、多彩な道具類がつくられたのである。海辺の村のあちこちに小さなナービヤー(ナベの製造工場)が次々と誕生した。
1946~49年、ナービヤーは沖縄における戦後第一の産業といわれるほど盛況を極めた。