【ジュラ紀の道具たち】 ジュラルミン製転用品を中心に (Page 7)

● ベトナムの場合/1960~70年代

 沖縄と日本本土の【ジュラ紀】は1940年代だった。しかし、1960~70年代、戦争下のベトナムにもジュラ紀が訪れた。

 銀色に底光りするおびただしい種類の【ジュラ紀の道具】たちが発生した。

2002年2月の『ベトナム・ニューズ』。
見出しは〈Lest we forget =忘れるものか〉。1972年の「米軍ハノイ、ハイフォン空爆」から30年目の現状を振り返った特集号だ。笑顔を浮かべる花売りの女性の背後の池には、撃墜されたジェット戦闘機が米空軍のマークを見せながら無惨な姿をさらしている。
上:左と同じ米軍機の残骸を別の角度から撮影したもの。
下:公園に展示された米軍の軍用機や兵器の残骸。ベトナムの各地には、ジュラ紀の道具たちの原料がモニュメントとして残されている。

写真/道具学会理事・山口昌伴氏

ジュラルミン製大型栓抜き
ジュラルミン製七つ珠算盤

ジュラルミン製フォーク
ジュラルミン製扇風機
ジュラルミン製眼鏡ケース

ジュラルミン製クシ
ジュラルミン製クシ
ジュラルミン製クシ
ジュラルミン製安全剃刀ホルダー
ジュラルミン製安全剃刀ホルダー

ジュラルミン製バリカン
ジュラルミン製髪梳き剃刀ホルダー
ジュラルミン製煙草ケース

ジュラルミン製軍用ナイフ(柄がジュラルミン製)
ジュラルミン製バタフライ・ナイフ
(柄がジュラルミン製)

ジュラルミン製ホイッスル
ジュラルミン製ライター
銃弾製ライター
砲弾製ライター
砲弾製オイル・ランプ
トタン製折りたたみナイフ
「ホー・チ・ミン・サンダル」

米軍車輛のタイヤを靴底に使い、チューブを利用してストラップをつくったサンダル。ベトナム戦争を象徴する転用品で、現地では「抗戦靴」とも呼ばれた。
鉄板製フライパン
船舶用鋼板製バケツ
船舶用鋼板製クワ
銃弾ケース用鋼板製ネズミ捕り器
左のネズミ捕り器の裏面(銃弾箱の側面)
ベトナム戦争終結後、「これは便利だ」と、中国がホー・チ・ミン・サンダルをコピー製造したもの。タイヤからの転用ではなく、原料用ゴムを素材に大量生産されている。





● リビア・トブルクの場合/1941~45年

トブルクの「ナベ・ウクレレ」。
IMPERIAL WAR MUSEUM図録より
 第一次世界大戦以降、戦火に見舞われた地域には必ず【道具のジュラ紀】が訪れるようだ。

 1940年代の第二次大戦下、連合軍×ドイツ軍のアフリカ戦線では、洋風「カンカラ三線」が発生した。リビアのトブルクでつくられた「ナベ・ウクレレ」である。トブルクの要塞に立てこもり、「Rats of Tobruk=トブルクのネズミ」と呼ばれたオーストラリアの兵士がつくったものである。ボディは凹んだアルミ製ナベ。表面にバイオリンと同じ「字孔」が開けられているところがいかにも西洋風だ。棹は軍用家具の廃材を利用したものと思われる(1941年)。





● タイの場合/1930年代~45年

 2000年には、タイでの【ジュラ紀】の痕跡が発見された。

 写真は、1944年に不時着した日本軍軍用機の残骸である。機体のジュラルミンは、寺の鐘、ナイフなどに転用され、発見されたのは写真のエンジン部だけ。最も良質のジュラルミンが得られるプロペラは外されていた。しかし、この残骸も金属クズとしての価値があったようで、鑑定した専門家によって3000ドル(約32万円)の値段がつけられた。

2000年5月31日「朝日新聞」(写真=AP)より





● 台湾・金門島の場合/1949~58年~now

 第二次世界大戦後、中国軍×国府軍の戦いの最前線となったのが台湾の金門島だった。

 1949年から1950年代末にかけて、この小さな島に、中国大陸から百数十万発の砲弾が撃ち込まれた。そして、いま、高梁酒とならび金門島の特産品として知られるようになったのが、砲弾の鋼(ハガネ)でつくられた「砲弾包丁」である。

 金門島の土中には、いまもなお100万発の砲弾が眠っており、台湾の「ジュラ紀産業」はむこう数十年間はつづくだろうと見込まれている。

金門島の「砲弾包丁」の中華包丁(金合利實業有限公司製造)。
砲弾包丁」を表現したオブジェ。
写真:いずれも奥村敬子氏提供。





● アフガニスタンの場合/2001年~now

 そして、2001年9月11日の「アメリカ同時多発テロ」を契機に、ローン・レンジャー気取りの大統領が中東を急襲した。

 アフガニスタンの国土は廃墟となり、戦闘機や輸送機の残骸が無惨な姿をさらしている。その光景は、軍用機がプロペラ機かジェット機かのちがいはあっても、1945年の沖縄と変わらない。

 アフガン西部の難民キャンプでは、アメリカ製缶詰の空き缶を手にした人々が列をなし、首都カブール北部の村では、子どもたちが農機具をつくるために砲弾の薬莢を叩き割りはじめた……。

〈砲弾も資源、生活の現実/アフガニスタンの首都カブール北部の村で、使用済みの砲弾の鉄を農機具として再利用するためハンマーで壊す少年〉とある。
2001年11月9日「東京新聞」(写真=AP)より





● イラクの場合/2003年~now

 2003年、イラクもまた焦土と化した。

 バグダッド郊外の露店には、放置されたミサイルのジュラルミン製部品や大型砲弾の残骸が商品として並べられている。米軍が大統領宮殿を征圧した2003年4月の新聞は、宮殿襲撃時の模様をこう伝えている

〈煙る首都、乱れる情報/地響き、道に伏せる人/ホテル前に戻ると、10歳くらいの女の子がピーピーと笛を吹いていた。よく見ると、金色の薬莢だった〉

 アフガニスタンに、イラクに、いま、また【道具のジュラ紀】が訪れようとしている。

バクダッド郊外の露店に並べられ、銀色の肌を光らせるミサイルの部品。2003年5月3日「朝日新聞」(写真=武田剛氏)