● ベトナムの場合/1960~70年代
銀色に底光りするおびただしい種類の【ジュラ紀の道具】たちが発生した。
写真/道具学会理事・山口昌伴氏
● リビア・トブルクの場合/1941~45年
1940年代の第二次大戦下、連合軍×ドイツ軍のアフリカ戦線では、洋風「カンカラ三線」が発生した。リビアのトブルクでつくられた「ナベ・ウクレレ」である。トブルクの要塞に立てこもり、「Rats of Tobruk=トブルクのネズミ」と呼ばれたオーストラリアの兵士がつくったものである。ボディは凹んだアルミ製ナベ。表面にバイオリンと同じ「f字孔」が開けられているところがいかにも西洋風だ。棹は軍用家具の廃材を利用したものと思われる(1941年)。
● タイの場合/1930年代~45年
写真は、1944年に不時着した日本軍軍用機の残骸である。機体のジュラルミンは、寺の鐘、ナイフなどに転用され、発見されたのは写真のエンジン部だけ。最も良質のジュラルミンが得られるプロペラは外されていた。しかし、この残骸も金属クズとしての価値があったようで、鑑定した専門家によって3000ドル(約32万円)の値段がつけられた。
2000年5月31日「朝日新聞」(写真=AP)より
● 台湾・金門島の場合/1949~58年~now
1949年から1950年代末にかけて、この小さな島に、中国大陸から百数十万発の砲弾が撃ち込まれた。そして、いま、高梁酒とならび金門島の特産品として知られるようになったのが、砲弾の鋼(ハガネ)でつくられた「砲弾包丁」である。
金門島の土中には、いまもなお100万発の砲弾が眠っており、台湾の「ジュラ紀産業」はむこう数十年間はつづくだろうと見込まれている。
● アフガニスタンの場合/2001年~now
アフガニスタンの国土は廃墟となり、戦闘機や輸送機の残骸が無惨な姿をさらしている。その光景は、軍用機がプロペラ機かジェット機かのちがいはあっても、1945年の沖縄と変わらない。
アフガン西部の難民キャンプでは、アメリカ製缶詰の空き缶を手にした人々が列をなし、首都カブール北部の村では、子どもたちが農機具をつくるために砲弾の薬莢を叩き割りはじめた……。
● イラクの場合/2003年~now
バグダッド郊外の露店には、放置されたミサイルのジュラルミン製部品や大型砲弾の残骸が商品として並べられている。米軍が大統領宮殿を征圧した2003年4月の新聞は、宮殿襲撃時の模様をこう伝えている
〈煙る首都、乱れる情報/地響き、道に伏せる人/ホテル前に戻ると、10歳くらいの女の子がピーピーと笛を吹いていた。よく見ると、金色の薬莢だった〉
アフガニスタンに、イラクに、いま、また【道具のジュラ紀】が訪れようとしている。