このトランクを初めて目にしたとき、ぼくが思い出したのは、赤瀬川原平が「模型千円札」で梱包したトランクのオブジェだった。日本の「梱包芸術」の代表作のひとつである(右の写真=1963年作品。後の「千円札裁判」で警視庁に押収された)。
梱包芸術の面白さは、モノを包み隠すことによって、むしろそのモノの本質を露(あらわ)にしてしまうことだ。まるで、性器を包み隠そうとするポルノ写真のモザイクが、世の中には性器そのものより遥かに猥褻なものがあることをあからさまに見せてくれるように。赤瀬川が「通貨」で包んだその作品は、現代の資本主義のワイセツさを静かに暴露していた。
さて、カネ、物資、生産手段を持たない無一物の人間はどう生きるのか? ロビンソン・クルーソーは難破した船の帆布でテントを張り、野生の山羊の脂(あぶら)でランプの灯油をつくった。
このトランクはアフリカ産。旧フランス領セネガルの無一物者=ストリート・チルドレンが、路傍に捨てられたコーラやビールの空き缶を拾い集めてつくったパッチワークである。彼らは、生き延びるために、この空き缶細工をスーベニール(観光土産品)として売っている。

トランクに使われたアルミ缶の製造主たちは、ざっと次のとおりである。
コカコーラ、ペプシコ、バドワイザー(アメリカ)、ギネス(イギリス)、ハイネケン、3 HORSES BEER(オランダ)、CASTELBEER(フランス)、KAS(スペイン)──。 ほらまた、アフリカに、植民地支配の宗主国が勢ぞろいだ。
うそ明るく輝くアルミ缶で梱包された旅行用カバン=トランク。赤瀬川とセネガルの子どもたちが梱包の台にカバンを選んだのは絶妙の選択である。
「革」へんに「包」むと書いて「鞄(カバン)」。
包み隠すべき対象(オブジェ)としてこれほど最適なものはない。そして、このトランクがどんな本質を露(あらわ)にしているかはいうまでもないだろう。
セネガルは1960年にフランスから独立した後、いまもなお飢餓に直面する最貧国のひとつ。都市部の6~18歳までの子どもたちの、1000人のうち13人が路上で暮らしているという。