米軍兵士の写真に見る [敗戦直後のニッポンの明るさ]
 沖縄で面白い写真を手に入れた。
 これから紹介するのは、新聞・雑誌からの引用ではなく「生写真」である。

 先年、道具学の文献と資料を集める旅の途中で、首里の古道具屋「成美堂」で偶然見つけたものだが、ある米軍の兵士がその店にもちこんだのだという。
 被写体は、まさに敗戦直後、1945~46年のTOKYO。大規模な空襲に遭った東京市中のたたずまいが鮮明に記録されている。
 出所をあえて分類すれば次の2種類になる。

 (a)米軍が戦争資料としてオフィシャルに撮影したもの=4点。
 (b)占領軍として東京に進駐した兵士が個人的に撮ったスナップ写真=5点。

 カメラが切り取った風景からは、戦後のニッポンの原点が見えてくる。
 その写真に映っているのはたしかに廃墟と化した焼け跡なのだが、しかし、伝わってくるのは、戦渦の悲惨さというより、戦争からようやく解放されたニッポン人の、いいようのない、控えめな「明るさ」なのである。
 闇深ければ、光眩し。1945年8月15日を境に、戦中の絶望的な窒息状態からやっとの思いで息をふきかえしたニッポン人の、ただ、単に、おだやかに暮らせる生活の喜びが見えてくる。

 いま、たとえば、東京の六本木ヒルズ周辺はたしかに明るいのかもしれない。しかし、なんだろう、この息苦しさは?
 写真が伝える「明るさ」は、六本木の明るさとは異質のものである。

 たとえていうなら、口を開けて笑うしかない絶望とそのむこうに見える「明るさ」だ。
 この「明るさ」を忘れてはなるまい。
 この「明るさ」を前にすれば、「憲法九条は時代にそぐわない」「核兵器所有の議論が必要」と公言する為政者たちが、どれほどうそ寒く、いかがわしい存在であるかがわかってくるだろう。

 灰色の希望より、バラ色の絶望を!
 笠置シズコの「♪ 東京ブギウギ」でも聴きながらご覧いただきたいと思うのだ。

                               (村瀬春樹)

 
【写真1-皇居】-(a)   

 写真の左上に「U.S OCCUPIES JAPAN CONTINUED(アメリカ合衆国、日本を占領中)」とある。
 米軍(GHQ?)のいずれかのオフィシャルな組織が撮影した航空写真と思われる。手前に一 部破壊された皇居、堀の向こう側に丸の内のビル群が見える。

【写真2-東京駅】-(a)  

 これも航空写真だ。1945年5月25日の空襲により3階部分と南北の屋根の大ドームが破壊されたままの痛々しい東京駅である。復旧工事は 1945年9月から始まったが、ここではまだその様子はない。
 おそらく、敗戦直後の8月下旬から9月にかけて撮影されたのではないかと思われる。しかし、 鉄路はすでに復旧し、列車が滑りこんできた無蓋のプラットフォームには、活発に動き回っている人影が多数見える。

【写真3-銀座】-(a)  

 銀座5丁目上空から4丁目交差点付近を望む。焼けこげたビルの壁が生々しい。ルーペで観察してみると、並木の柳の葉も黒焦げのままだ。1945年秋に撮影されたものではないだろうか。人が群れている舗道には露店が並び、路面電車が走っている。
 焼け残った服部時計店に「TOKYO PX(進駐軍専用ショップ)」の看板がかかっていないところを見ると、まだGHQに接収される前の風景ということになる(ちなみに、1946年10月の新 聞写真には「PX」の看板が見える)。

写真4-丸の内】-(a)  

 皇居上空より、皇居前広場から丸の内のビル群を望む。右端に明治生命ビル。

【写真5-皇居の濠】-(b)

 皇居の堀から第一生命ビル(GHQ)を見る。

【写真6-皇居前広場】-(b)

 皇居前広場の芝生の上に腰を下ろしている若い女性に声をかける(というより、はしゃいだ面もちでコナをかけている)国民服姿の男性。裏面に撮影者のメモ「Japs resting under the trees(木陰でくつろぐJap ども)」

【写真7-瓦礫の街】-(b)

 文字通り瓦礫の東京市中を大八車に荷を積んだ男たちが行く。周辺の農村部から市中の闇市へ燃料を売りに来たのだろうか、運んでいるのは薪の束と炭俵だ。背後には焼け残った金庫、2本の煙突、そしてコンクリート造りのオフィス。

【写真8-バラック】-(b)

 一面の焼け野原。青空の下に黒々としたバラック──焦げた材木や焼けトタンを寄せ集めてつくった仮設住宅である。写真の裏に「Wreckage in Tokyo(東京の残骸)」。
 
その残骸を利用して、人々はロビンソン・クルーソーのように生き延びる。月々、住宅ローンの返済を心配しなくてよい家づくり だった。

【写真9-農村】-(b)

  撮影者は三多摩地区へ足を伸ばしたのだろうか、東京郊外の農村風景だ。畑や田んぼは子どもたちの遊び場でもあり仕事場でもあった。サツマイモを収穫して運ぶおばあちゃんを手伝う丸刈り頭の少年の顔は明るい。