04-縄文の母たちが使った「胞衣壷(エナツボ)」

 

1 胞衣壷/土器・日本。口径87mm×最大径98mm×高さ57mm。


子どもの成長を祈ってエナを埋める

 いま、日本人の長寿ぶりには目を見はるものがある。

  男性=78.64歳
  女性=85.59歳 (2004年「厚生労働省」)

 でも、昔は、人類はいまほど長生きではなかった。縄文人たちの平均寿命は20歳前後だったと推定されている。

 その理由の一つが、分娩(ぶんべん)前後から幼児になるまでの子どもの死亡率の高さだった。江戸時代でさえ、出産数の約15%は死産で、生まれた子どもも5歳になるまでに4分の1が死亡したという報告がある。
 そこで、人々は、生まれた子どものすこやかな成長を祈ってある習俗を誕生させた。

 「子どもの命が無事にこの世に根付いておくれ!」

 と、エナ(胞衣=胎児を包む膜や胎盤)の一部を壺に入れ、命への畏敬の念と祈りをこめ、人がよく歩く場所を選んで土の下に埋めたのである。麦踏みではないが、たくさんの人に踏み固めてもらい、しっかり現世に根付いてほしいという親たちの願いからだった。エナの容器となったのがこの【胞衣壷(エナツボ)】(写真1)である。

 胞衣壷の歴史は古く、縄文時代から江戸時代まで、日本各地の遺跡や住居跡からさまざまな胞衣壷が発見されている。青森県・三内丸山遺跡もまた胞衣壷が出土した遺構のひとつである。この遺跡は、縄文前期から中期(約5,500~4,000年前)にわたっておよそ1,500年間継続した巨大な集落で、全エリアが35ヘクタールにおよぶと推定される縄文の「一大都市」である。

2 三内丸山遺跡の竪穴式(たてあなしき)住居群(復元)。この地に立って驚くのは、一帯の地相が素晴らしく明るいことだ。ご先祖さまたちは、おそらく、本州の北の果ての地域のなかで最も住みやすい場所を選んで町をつくったのではなかろうか。5000年前の一等地は、いまもなお清浄で美しく、私が訪れたのは1997年、雨上がりの秋の午後だったが、山の向こうのはるかな空に虹が立つのを見た(写真左手の空)。

3 三内丸山遺跡では、縄文時代中期以降のものと思われる「高床式(たかゆかしき)」の建物跡が100棟以上発見されている。これまでは、「地面と縁を切り、床を空中にもちあげた建物」は、弥生時代に稲作の技術といっしょに中国大陸~朝鮮半島を経て渡来したと考えられてきたが、近年、全国各地の縄文遺跡でその遺構が見つかっている。高床式建物の用途は、研究者によって「穀物倉庫説」と「住宅説」とに議論が分かれている。


学校で教えてくれない「生活の連続性」

 ところで、お気づきだろうか? 

 学校の歴史の授業では「かんじんなこと」を教えてくれなかったのを。それは庶民の「日常生活」の実態だ。日本史の年表には決して登場することのない市井(しせい)の人々の、千年、二千年、あるいはそれ以上も連綿としてつづいてきた習慣や習俗は学校では教えてくれない。

 この「かんじんなこと」を理解しないと、【胞衣壷】という道具の真相は見えてこない。

 学校の教科書では、西暦645年、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)たちが蘇我入鹿(そがのいるか)らを滅ぼし「大化改新」がはじまり、701年に「大宝律令」が制定され、710年に都が平城京に遷都され「奈良時代」がはじまった……ことになっている。

 あるいは、1868年、明治政府が成立し、江戸時代が終わりを告げた……ことになる。

 学校が教える歴史は、ある年を境に「古代」から「中世」へ、あるいは「近世」から「近代」へとがらりと変わるのだ。この権力が移動した特定の年を中心に据えた歴史観を「絶対年代」による歴史観という。

 しかし、庶民の生活が、歴史年表の時代区分そのままに、劇的に様変わりするかというと決してそうではない。

 支配者の交代劇は、庶民にとっては、コップの中の小さな嵐にすぎない。権力のうつろいとは関係なく、人々の生活は変わることなくつづき、馴れ親しんだ生活習慣やスタイルは営々と継承されていく。

 中世の人々は、長い間、古代と変わらぬ生活を繰り返していたし、古代のままの道具を使いつづけていた。21世紀の私たちでさえ近世、中世(あるいは、それ以前)の生活を引きずりながら、鍋、釜、茶碗、箸(はし)、箒(ほうき)、大昔の道具を使いながら暮らしている。これを「生活の連続性」という。

 人々の暮らしは一朝一夕には変わらない。ここが「かんじん」なのだ。

 さて、胞衣壷の話にもどろう。三内丸山遺跡で発見された遺物は土器をはじめ、土偶、翡翠(ヒスイ)、琥珀(コハク)のアクセサリー、赤漆塗りの大鉢、樹皮を編んだポシェットなど多彩だった。その量は桁外れに膨大で、段ボール箱40,000箱以上が出土し、いまもなお発掘調査がつづけられている。

4 発掘作業中の現場と地表にあらわれてきた大量の土器群とその破片。

 5 三内丸山から出土した大型の「板状土偶」(高さ320mm・縄文時代中期)と石棒。

  さまざまに出土するセクシュアリティの道具たち

 縄文の人々は、セクシュアリティ(性的文化・社会性)にまつわる遺物をたくさん遺している。写真「5」の土偶は、儀式や祭事のときに使われたとされる土製のフィギュア(偶像)だ。

 表現としては、現代アートのように抽象化と省略法といった技法が発揮されているが、胸のふくらみが強調された造形からわかるように、成熟した女性をイメージして象(かたど)られている。きっと、豊穣多産、無事な妊娠と分娩、子孫の繁栄などの願いが象徴化されているのだろう。石棒は男性器を抽象的に表現した磨製石器で、竪穴式住居の奥の壁際や石で囲った炉の縁に立てて祀られていたようだ。

 エナを納めた胞衣壷もまた、縄文人のセクシュアリティを知るうえでの貴重な資料だ。

 〈子どもが産まれると、後産の胞衣を大切に扱うことが民俗例にある〉と、『縄文まほろば展/三内丸山遺跡とその世界』の図録はいう 。胞衣壷は〈土間の上がり框(かまち)や戸口の敷居(しきい)の下などに埋めて、人に踏んでもらえば幼児が健康に育ち、産後の肥立ちもよいとされている。縄文時代でも竪穴式住居の入口に深鉢が埋められているが、同じような儀礼であったのだろう〉*

 胞衣壷の1つは、下の写真の大型建物=ロングハウスの遺構から発見された。

6 三内丸山遺跡では長さ(桁行=けたゆき)が10~32mもある「ロングハウス」と呼ばれる長大な住居の遺構が20棟以上も発見された。上は、長さ32m級の復元されたロングハウス。床面積が250m2というから200人以上が居住できる広さだ。取材に同行してくれた女性学芸員によれば、この建物の出入り口付近に胞衣壷が埋蔵されていたという。

7 クリの木の太い掘ったて柱が列柱のように並んだロングハウスの内部。胞衣壷が出土した場所は右手の階段を降りきった地中、人々が出入りの際に必ず踏んで通ることになる場所である。手前の円形の装置は土間に設けられた「地炉(じろ=地面じかに設けられた炉)」。この屋内炉で火を焚いて調理し、暖をとり、その炎は暗い室内の照明装置ともなった。


  胞衣壷のほかにも、縄文の人々が子どもたちの「いのち」を大切にいとおしんできた証左がたくさん発見されている。先の図録はこう報告している。

 〈三内丸山遺跡では、竪穴住居に近い北の谷の周辺に大人の墓の6倍弱にも当たる880基以上の埋め甕(がめ)がある。早死産児、新生児の死が身近にあったのだろう。子を思う親の気持ちからか日常的な居住地の近くに埋葬されている〉のである。

 さらに、子どもたちの足形や手形を粘土に直接押し付けた「土版(どばん)」が各地の縄文遺跡から出土している。ちっちゃな手足そのままの、リアルで可愛いオブジェ。この土版には、ヒモを通す小さな穴が開けられ、大人の墓の副葬品として発見される例がある。それは〈死んだ子の足形・手形をとって死を悼み喪に服すような意味で首にぶら下げていたものを、その親の死に当たって一緒に埋葬したのかもしれない〉。
 縄文の人々にとって、子どもたちのいのちは「宝」だったのにちがいない。

8 「1」の胞衣壷を別の角度から撮影すると、側面に刻まれた縄目(なわめ)紋様がよくわかる。

  振り返ればすぐそこに縄文時代

 さて、上の写真は「1」の胞衣壷を別の角度から撮影したものだ。ご覧のように、非常にプリミティブ(原初的)なデザインで、表面には縄目(なわめ)のような紋様が刻まれている素焼きの土器である。
 しかし、これは三内丸山遺跡から出土したものではない。縄文時代のものでもないし、弥生、奈良、平安、江戸時代のものでもない。
 この胞衣壷は、じつは1998(平成10)年、道具学会が主催した三重県伊勢市でのフィールドワークの折りに、私が瀬戸物屋──江戸時代中期からつづいている「和具屋」という老舗──で、定価300円で買い求めた現代の胞衣壷なのである。そう、現役の商品(!)だったのだ。

 その店の主人(83歳の女性=当時)の話によれば、昭和になっても──というか、戦後になっても、多くの女性たちがこの胞衣壷を使っていたのだという。「どこの瀬戸物屋でも売っていましたよ」というのである。
 実際、彼女自身も、1950(昭和25)年、自宅で2人目の子どもを出産したときには店に置いたこの壺にエナを納めたそうだ。

 なんと、日本の女性たちの出産というセクシュアリティは、昭和20年代まで縄文時代と地続きだったのだ。300円の胞衣壷を手に、振り返ればすぐそこに縄文時代──。
 「絶対年代」とは無縁の、年表上の歴史区分を超えた「生活の連続性」である。
 ご存知だろうか? 21世紀、出産にともなうエナは「産穢物 (さんわいぶつ)=行政用語でお産のときに出る穢(けが)れたゴミ」として処分されるのを。

   某県某町「胞衣及び産穢物処置場使用条例」

   第1条 本町胞衣及び産穢物処置場の使用に関しては本条例の定めるところによる。
   第2条 胞衣及び産穢物処置場を使用せんとするものは、次の料金を納入しなければならない。
         産婦1人1回分 500円
   第3条 使用料は、使用前にこれを納入しなければならない。但し、貧困のため、使用料を納入する資力の
        ない者は、町長に於てこれを減免する事が出来る。

 原始、女性は太陽であり、産む性としての女性のセクシュアリティが畏敬され、崇拝された時代があった。子どものいのちが宝だった時代があった。
 しかし、いま、エナは化粧品会社や製薬会社の「胎盤エキス」の原料として商品化され、密かに産院から仲介業者に横流しされるか、ゴミとして自治体の環境衛生課に回収されて処理される。

 現代の女性と子どもの地位もまた推して知るべし。この胞衣壷は、そういうことも教えてくれるのである。



(ゆみこ・ながい・むらせ) 


写真/1・8:Tabute Murase、2~7:筆者

1996年「縄文まほろば展/三内丸山遺跡とその世界」展・公式ガイドブック『縄文の扉』中、文化庁文化財保護部記念物課主任文化財調査官・岡村道雄「縄文人の生と死」より