人類は、600万~500万年前、二足歩行に成功した瞬間から画期的な自由を手に入れた。四つん這いになっていた前足を「手」として使えるようになったのだ。
その手はつがいの相手を抱きしめたり、愛撫したり、獲物や外敵と対峙したときに石槍や棍棒を握れるように
なっただけではない。
それまでは口でくわえて運んでいた収穫物(食料)を手で運べるようになったのである。やったぜ、人類!
……しかし、手だけでの運搬には限界があった。両手を使っても、せいぜい二握(ふたにぎ)りが限度の運搬量である。人類はより多くの獲物を持ち運べる道具が欲しくなった。そこで発明されたのが運搬容器としての「カゴ」である。
アルプスの氷河から凍結ミイラの姿で発見された「5,000年前の男・アイスマン」は、唐松の木枠、草縄、獣皮でつくられた「背負いカゴ」を背負っていた。
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2 「アイスマン」とは、1991年、オーストリアとイタリア国境にまたがったアルプス山中で発見された凍結ミイラ(男性)の愛称である。約5300年前、狩りに出た途中で遭難したようで、当時の姿のままで氷河の中から発見された。写真は、彼が背負いカゴの中に入れていた短剣とその鞘(さや)。短剣の束はトネリコの木、刃はフリント(非常に堅い堆積岩)製。鞘は背負いカゴと同じ「袋物」、樹皮で編まれていた。
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日本では、縄文時代、青森県・三内丸山遺跡(5,500~4,000年前)で生活していた人々が、イグサを見事な網代(あじろ)に編み上げた「縄文ポシェット」を遺している。
きっと、主食だったドングリ、クリ、トチなど木の実を採取して運ぶときに使ったのだろう。そのカゴの中には半欠けのクルミの実が残っていた。
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3 「縄文ポシェット」/縄文時代前期・高さ135mm。三内丸山遺跡から出土した縄文人の「肩提げカゴ」である。通常、日本の酸性土壌では、骨、角、貝殻や植物系繊維や樹皮などの有機質の遺物は腐ってしまうが、このポシェットはほぼ完全な形で発見された。左下が袋の中に入っていたクルミの実である。
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さて、時代は下って現代──。人は森でドングリやクルミを探すかわりに、会社へ出かけて壱万円札や千円札を採取して帰ってくるようになった。それを使ってコメ、肉、タマネギ、ダイコン、アジのひらき等々を手に入れる。その獲物を運ぶ容器として発明されたのが【買い物カゴ】だった。
1950~60年代、団塊の世代のお母さんたちが使っていたのは下のような買い物カゴである。
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4 葭(よし)を網代に編んだ1960年代の買い物カゴ。この後、1970年代にかけて、塩化ビニールを被覆した針金製の買い物カゴに取って代わられる。
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写真は、着色した葭の表皮を綾織りにした1960年代の買い物カゴだが、その編み方は「縄文ポシェット」のそれと寸分変わらぬ「網代編み」である。網代編みという工芸技法は、すでに、縄文時代に完成されていたのだ。
以後、この技術は竹細工、籘細工、和風建築の仕上げ材、そして各種のカゴづくりへと、数千年にわたって継承されてきた。
しかし、スーパーマーケットが全国的に急増した1963(昭和38)年前後、買い物カゴにとって天敵があらわれた。スーパーのレジに用意された白いポリ袋──いわゆる「レジ袋」である。
おお、これって便利! わざわざ買い物カゴを買う必要ないじゃん!
かくて、少なくとも、縄文時代以来5,000年間つづいてきた運搬容器としての「買い物カゴ」は、その後の40年間で日本人の家庭から姿を消していくのである。
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5 crown cap basket/2000年代・ケニア。
アフリカ、アジアなど「途上国」では、買い物カゴはまだ健在のようだ。アフリカの最貧国のひとつセネガルでは、ストリート・チルドレンが、路傍に捨てられたコーラやビールの空き缶を転用して日用品をつくり、観光土産として売って生計を立てているが、これはケニヤの品。不要となったビールの王冠(crowncap)と針金を組んでつくった買い物カゴである。
(神奈川県鎌倉市の雑貨屋にて)。
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