ぼくらが学ぶ道具学のテーゼのひとつに次のようなものがある。
〈ヒトの歴史は道具をして語らしめよ!〉
人類の歴史を学ぶのなら
風の吹きようでころころ変わる言葉で書かれた
「文字情報(文献)」からではなく
動かぬ証拠としての
「道具情報(モノとして実在する物証)」から学べ──といった意味だ。
ここでは、「玩具」という道具を通して
敗戦を迎えた1945年前後のニッポン人の心のうつろいを考察してみよう。
その玩具は【メンコ】である。
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1950年代の【スター・メンコ】。直径85mm。
名探偵・多羅尾伴内に扮した片岡千恵蔵の丸メン。
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●メンコの起源と語源
まずは、ざっと、メンコの起源のおさらいから──。
メンコの歴史は平安時代の貴族たちの遊びにさかのぼるとされている。
それは、おカネ(円形方孔銭=丸い形の穴あき銭)を使った【意銭(ぜにうち)】というゲームで、地面に置いた他人の銭に自分の銭をぶつけ「当たればいただき」という一種のギャンブルだったようだ。
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円形方孔銭「乾隆通寶」。中国大陸から輸入した渡来銭(銅製)だ。ただし、これは後世=清の時代(1736年)のものである。
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この遊びが、江戸時代になると【穴イチ】という子どもの遊びに変化する。地面に小穴を掘って、その穴をねらってタマ(玉=専用の穴一銭、木の実、貝、小石など)を投げ込み、うまく入れば勝ち。
やがて、このタマが一方では【泥メンコ】となり、もう一方では【マーブル玉(ビー玉)】へと枝分かれしていった。
【泥メンコ】というのは──東京名物・和菓子の「人形焼き」を想い出していただければ話が早いが──型抜きした親指大ほどの粘土の固まりを焼いた玩具で、その多くが人面をかたどったものだった。人の顔型で「面子(めんこ)」。これがメンコの語源である。
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泥メンコ。明治初期(1868~82)/今戸産(現・東京都台東区今戸)。
31mm×25mm。京都書院『おもちゃ博物館-4』より。
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明治10年代になると、【泥メンコ】の人気が薄れ、【鉛(なまり)メンコ】が発明されて大正時代まで流行する。武者絵、人気力士の姿、話題の事物をデザインして鋳込んだ鉛の薄い板だった。
1920(大正9)年に発表された有島武郎の『一房の葡萄』にはこんな一節がある。
〈僕のポッケットの中からは、見る見るマーブル球や鉛のメンコなどと一緒に二つの絵具のかたまりが掴み出されてしまいました〉
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鉛メンコ。大正末期(1920's)/京都産。7mm×18mm。京都書院『おもちゃ博物館-4』より。
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【鉛メンコ】が流行る一方で、1890年代(明治20年代後半)、錦絵の描画手法を受け継いだ【紙メンコ】が誕生した。これが、戦後、団塊の世 代の男の子たちが夢中になったあの「丸メン」や「角メン」の祖型となるものである。以後の100年間、この【紙メンコ】がメンコの主流となっていく。
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