● 侵略戦争の世に大流行した【軍人メンコ】
さて、メンコが時代と世相を象徴的に映す「鏡」だとしたら、あの戦争の時代(1930年代)の「鏡」からはなにが見えてくるのか? そして、戦後(1940年代後半)の「鏡」はどう変わったのか?
近代史の学説では、日本の帝国主義が幕を開けたのは1890年代とされている。1890(明治23)年の「教育勅語発布」「第1回帝国議会」が ひとつの大きなエポックとなり、1894(明治27)年には朝鮮半島に派兵、日清戦争開戦。1904(明治37)年にはロシアに宣戦布告して日露戦争がは じまった。
メンコの世界では、1900年前後──時を同じくして【軍人メンコ】が誕生する。世は富国強兵、殖産興国。軍人・兵士たちが男の子たちのヒーローとなり、以後、【軍人メンコ】は大きな潮流となって子どもたちの遊びの世界に定着することになる。
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1900(明治30)年前後──日清・日露戦争時代の【軍人メンコ】。
色使いや線描など、錦絵の手法を色濃く残しているのがよくわかる。上段左から中尉、大将、大佐、工兵、間者(スパイ)、騎兵。直径40mm。
京都書院『おもちゃ博物館-4』より。
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1930年代(昭和5~10年代前半)、大日本帝国がアジア各地へ宣戦布告なき侵略を開始した時代、子どもたちが遊ぶ玩具も軍国主義一色になった。メンコもまた例外ではなかった。男の子たちの憧れのヒーロー、そしてアイドルは帝国陸軍と海軍の将校、兵士たちだった。
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1930年代前半の典型的な【軍人メンコ】。
1931(昭和6)年の満州鉄道を爆破した「柳条湖事件」以後、戦線がエスカレートし「満州事変」へと拡大していくが、そのころのものと思われる。上段左から「陸軍将校(墨色が色ヌケして文字の表記なし)」。「赤十字」「重砲」「砲台(毒ガス部隊が描かれている)」。
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実在の人物の【軍人メンコ】。
「林大将」とは、1937(昭和12)年に内閣総理大臣となった林銑十郎。彼は、1931(昭和6)年、独断で満州を侵攻し「越境将軍」といわれて喝采を浴び、翌年陸軍大将となった。そんな人物が、まさに、子どもたちの英雄だった。
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1937(昭和12)年には全面的に「日中戦争」がはじまり、メンコに描かれた軍人像や戦闘シーンも一般的・抽象的な表現から、より具体的で現実味を帯びたものへと変わってきた。
しかし、大本営のよる華々しい戦果発表とはうらはらに、侵略先の戦況は悪化、銃後の経済事情・食料事情も深刻になっていた。「国家総動員法」が 公布された1938年(昭和13)年には、日本国内には民需にまわす金属類がほぼ完全に底をつき、各種の金属器のかわりにセトモノ製の代用品があふれはじ めた(最終的には、セトモノ製のクギ、ボルト&ナット、陶器製手榴弾、陶器製地雷などが生産された)。
そのころの一連のメンコである。
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1930年代後半の【軍人メンコ】。
上段左から、「支那事変(当時の政府の「日中戦争」に対する呼称)」「砲兵隊」「田所少佐」「倉本少佐」「地雷」「多門中将」と、これも実名入りのケースが多く見られる。
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1940年代に入ると、戦局は末期的様相を呈してくる。1943年、カルタ形式によるメンコが発行された。
表面にはカタカナの頭文字と関連の絵、裏面に教宣用の標語が印刷されている。たとえば、「ソ」は「ソラダ オトコノ ユクトコロ」と戦闘機の絵柄が。「神州不滅」、「鬼畜米英」、「一億玉砕」、露骨な戦意高揚のための【プロパガンダ・メンコ】である。
下は「ユ」だが……。
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1943(昭和18)年に発行された【教育メンコ】。
メンコには非常に希有な例だが、新聞・雑誌のように発行年月日が裏面に記されており「18.3.1(昭和18年3月1日)」とある。
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……壁に耳あり、障子に目あり、黒い手袋をしたスパイが反古(ほご)にされたメモを収集しているの図。「ユダンニ テキガ メヲツケル」と、子どもたちに敵国スパイへの警戒を呼びかけている。
しかし、この【防諜メンコ】が発行された1944(昭和18年)3月1日からほぼ2年後、1944年3月に東京は米軍のB29による大空襲を受け、波状的に行われたその大規模な空爆は全国100都市以上に及んだ。
同じ3月から沖縄では「鉄の暴風(猛烈な艦砲射撃と空爆)」が吹き荒れ、8月には広島、長崎とあいついで原子爆弾が投下された。
そして、あの日がやってきた……。
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