● ニッポン人の「忍法・手のひら返し」
1945(昭和20)年8月15日、日本本土は昭和天皇の「玉音放送」をもって敗戦を迎えることになった。真夏の青空の下、多くの日本人は、一面の焼け野原の中で戦後の生活をスタートさせることになった。
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占領下、アメリカの進駐軍兵士が撮影した敗戦直後の東京の街。廃墟と化した焼け跡に、焦げた材木やトタンを寄せ集めてつくったバラック(仮設住宅)が建っている。写真の裏に「Wreckage in Tokyo(東京の残骸)」とメモが。
詳細と関連写真は
「米軍兵士の写真に見る [敗戦直後のニッポンの明るさ] 」をご覧下さい。
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銀座の街角には、黒焦げになった柳の並木をよそに進駐軍の軍服があふれ、4丁目角の服部時計店は接収され、「ARMY EXCHANGE SERVICE P.X.」──進駐軍専用ショップが街行く人の目を引いていた。
このあたりからぼくの原体験になるが、横浜・本牧の町にはカマボコ兵舎が建ち並び、鉄条網に囲まれた仮設飛行場に翼を畳んだグラマン艦載機が整列していた。その脇を土煙をあげてジープが走り回っていた。
8月15日を境に、子どもたちの──そして、なによりも大人たちの──憧れのヒーローが一変した。時代を映す「鏡」の顔ががらりと変わった。メ ンコの世界に、昨日まで「敵性語」とされてきた英語があふれ、「鬼畜」とまで呼ばれてきたアメリカ進駐軍の将官・兵士たちが、一躍、その主人公となるので ある。
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1945.8.15 AFTER THE WAR
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【進駐軍メンコ】
Occupied Japan(1945~1951年、米軍占領下のニッポン)の時代、メンコのヒーローたちはこうなった。1年前までの「旭日」「富士」「桜花」といった神国ニッポン風絵柄からデザインが一気にバタ臭くなり、金髪碧眼の司令官の肖像やパイロットと米軍機、セーラー(水兵)とアメリカ海軍の軍艦が描かれた。上段左から「Headquarters(占領軍司令部)」、「同」、「Army(陸軍)」「Navy(海軍)」 |
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【MPメンコ】
なんといっても人気があったのは、スマートな制服に身を包み、颯爽とジープを走らせるMP(憲兵隊)だった。一種の「正義の味方」として英雄視さ れたのだろう、「MPカード」と銘打ったさまざまな角メンが出回った。銀座の交差点で交通整理するMPたちの姿を描いたものを多く見かけた。
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その進駐軍によって大量に持ち込まれたのが1940年代のアメリカ文化だった。ラジオからFEN(Far East Network=米占領軍極東放送)が流れ、グレン・ミラー楽団が「リトル・ブラウン・ジャグ(茶色の小瓶)」でスウィングし、ハンク・ウィリアムズが 「ユア・チーティン・ハート」を鼻声で唄っていた。
ヒーローは、もはや「冒険ダン吉」や「のらくろ二等兵」ではなかった。アメリカ生まれのキャラクターたちが大量に上陸していた(または、戦中に 敵性文化として葬られていたものが「名誉回復」を果たしていた)。敗戦後1年を待たずに週刊誌(1946年6月「週刊朝日」)にアメリカン・コミック「ブ ロンディ(Chic Young 作)」の連載がはじまった。
メンコの世界では──名前のスペルはローマ字表記が多かったが──「ポパイ」「ミッキーマウス」、そして「ターザン」などがニュー・ヒーローと なり、1930年代にアニメーション映画で輸入されていた「ベティさん」が復活し、「Betty Boop」としてセクシー・アイドルの座についた。
黄金期を迎えていたハリウッド映画が次々と公開され、銀幕のスターたち──とりわけ、西部劇のガンマンたちが男の子たちの英雄となった。
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アメリカンキャラ・メンコ
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【Popai(Popeye)】 【Mikki(Mickey Mouse)】 【Duck(Donald Duck)】
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【BETEI(Betty)】
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【Tazan(Tarzan)】
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アメリカ映画スター・メンコ
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【Gary Cooper】 【Bob Hope】 【William Elliott】
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【Tyrone Power】
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【John Wayne】
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Come Come Everybody! 1946年2月、NHKが「ラジオ英語會話教室(カムカム英語教室)」の放送を開始、敵性語の学習が一大ブームとなった。そのテキストは毎回50万部を売り切り、全国に1,000カ所余の「カムカム・クラブ」が誕生した。
子どもたちの玩具として、角メンを「単語カード」に見立てた英会話メンコが大量に出回った。
下がその一例である──。
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英単メンコ
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【Fire=火事】
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【350=スリーハンドレッドフィフティ】
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【HIPPOPOTAMUS=河馬】
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【CAMEL=駱駝】
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【Hold up=手をあげろ】
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【RIGHTEOUS MAN=正義の人】
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「英単メンコ」は大いに役に立ったことだろう。
まあ、自宅が火事になって「Fire!」と叫んでも近所の人がすぐに駆けつけてくれたとは思えないが、商店の人たちにとって「ミッキイ」の英単 は必須語彙だ。米兵がやってきて「How Much is this one?」。すかさず「イット・イズ・スリーハンドレッドフィフティ・エン、ね!」
軍服を着た覆面強盗にコルト・ガバメントを突きつけられて「Hold up!」といわれたときには、「なるほど」と手をあげられるし、あとで正義の保安官「RIGHTEOUS MAN」に通報することだってできる。
それに、なんといったってアレだ。深刻な食料不足に見舞われて、イモ、マメ、カボチャの代用食生活。米兵が乗ったジープに群がっては 「Hallo!アイ・アム・ハングリー!」。子どもたちは「ギブ・ミー・チョコレート!」とお菓子が目当て。大人たちは「ラッキー・ストライク、プリーズ!」とレーション(野戦用携行食)にパックされた5本入りのタバコをおねだりした。
なんという変わり身の早さ! なんという無節操、無定見、無責任!
これぞ、ニッポン人の裏ワザ、忍法「手のひら返し」──。
しかし、なのである。スゴイなあ! と感嘆もするのである、この変わり身の素早さに。そういえば、想い出すのは1951(昭和26)年のわが母校──町立二宮小学校1年2組の教室である。
「大人なったら、なんになる?」と近藤和子先生が生徒に聞いた。はい、と手をあげたのはクラスで一番背が高かった男の子のミキちゃんだった。
「大人になったら」とミキちゃんはいった。「アメリカ人になりたいです」
ミキちゃんに限らず、多くのニッポン人は戦前・戦中の大日本帝国にうんざりしていたのだと思う。大政翼賛。滅私奉公。忠君愛国。一億玉砕。ヘドが出る思いだったにちがいない、カーキ色の大和魂にボコボコにされて。
どんな国民にも、愛国心は決して強制できないのである。
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