わずか3年のあいだに、7人家族が2人家族になるとは思わなかった……。
1991年秋~2003年春まで。「三世帯住宅」で暮らしたその11年間が、ぼくら7人家族の黄金期だったにちがいない。
じつは、この家は1990年代のバリアフリー住宅としてはかなり有名な施工例だった。
新聞6紙と週刊誌の取材が相次ぎ、〈夫婦双方の親と一緒に=読売〉〈話もはずむ三世帯住宅/独立性を確保・食卓囲み交流/ナース・コールも=日経〉──と写真入りで報道された。
ぼくらの生活は、新聞の見出しどおりの賑やかさでつづいた。子世帯と親世帯、おたがいに気を配りつつ、邪魔にならず邪魔をせず、自由で楽しい生活だった。
ゆみこの両親は、冬場は気候温暖な湘南に建つわが家で暮らし、夏になると福岡に残した自宅へ一時的に戻り、秋にはまたわが家へ帰るという縄文人なみの気ままな「渡り鳥型定住(マルチハビテーション)」を実行していた。
しかし、星は巡り、月日は流れ、家族は輪廻(りんね)し転生(てんしょう)する。2001年から2003年の足かけ3年のあいだに、わが家は劇的な変化に見舞われた。
 |
|
「三世帯住宅」では家族7人の誕生日が盛大に開かれた。この写真は2002年2月のゆみこの誕生会。左からゆみこの父・安之助、同・母文子、ゆみこの妹・シュフナー真紀子(フランス航空の客室乗務員。この日はフライトで来日)。飛礫(たぶて=上の息子)、春樹の母・多美江、春樹、そしてゆみこ。東京で暮らす不思議(はてな=下の息子)は仕事とかちあって不在だった。拡大した家族はやがて縮小する。翌2003年4月、安之助と文子は福岡市の弟夫婦の二世帯住宅へ転居、多美江は同年7月に他界した。この夜は、親たちと誕生会を祝ういわば「最後の晩餐」となった
|
まず、2人の息子たちが独立して東京に居を構えた。社会人ともなれば当然の話だ。これで、
7人─2人=5人家族。
ゆみこには、前々から親と同居するつもりだった弟夫婦がいたが、彼らが福岡市郊外に建築中だった二世帯住宅が完成する。ある日、「そろそろいっしょに暮らさないか?」と弟夫婦からの誘い。
2003年4月、それもまた良きかな……と、ゆみこの父と母は弟たちの招きに応じて九州へ。2羽の渡り鳥は、今回は帰ってこないことに決めたのだ。
5人─2人=3人家族。
そして、同じ年の7月、ぼくの母が循環器系疾患で急逝したのである。
3人─1人=2人家族。
たったの3年で、7人家族が2人家族になってしまうとは知らなかった!
小屋裏3階建て・延床面積386.1m2(116.7坪)の「三世帯住宅」の屋根の下に残されたのは、50代後半を迎えたゆみことぼく、それに2匹の老いた猫たち。過疎化と高齢化に悩む寒村のようなイタリア・モダーンのわが家……。
さて、どうする?
じつは、この「三世帯住宅」は世帯ごとにLDK、浴室、トイレが完備している。世帯別の玄関もある。ガス・水道・電気のメーターも独立している。耐火性が高いツーバイフォー住宅の特性を活かして、世帯ごとに「区分登記」もしてある。
つまり、三区画・三世帯の「マンション」に素早く変身できるのだ。
このわが家、ビューンッ! と「飛び蔵」みたいに空を飛べないのなら、いっそ誰かに貸して、また新しい家を建てますか?
今度は、ヒトとネコの二世帯住宅でも、ね。
(村瀬春樹)